現在世界各国で抗生物質の効かない薬剤耐性菌の拡大が深刻な問題となっています。そんな中でバクテリオファージを利用した「ファージ療法(ファージセラピー)」が耐性菌との闘いにおける一つの突破口として注目されています。なぜバクテリオファージが今注目されているのか、その理由を探ってみました。
深刻化しつつある耐性菌問題
2014年の英国政府の報告によると、現在年間70万人が薬剤耐性菌による感染で亡くなっているとされます。
日本でも2017年には薬剤耐性菌によって8000人以上が死亡したとの推計が発表されています。(※)
もしこのまま耐性菌拡大を止めるための施策を何も行わなかった場合、2050年には耐性菌によって年間1000万人もの人が亡くなると見込まれています。これは現在1年間にガンで死亡する人の数よりも大きな数です。 現在、世界はこのような大きな危機を前に、新たな切り札を探している状況にあるのです。
耐性菌感染で昏睡状態に
このような状況である一つの出来事をきっかけに耐性菌拡大に対する切り札としてファージセラピーが注目されるようになりました。
2015年11月。エジプトでクルーズを楽しんでいたアメリカ人のトム・パターソン氏は突如猛烈な吐き気を感じました。
パターソン氏はその時は単なる食あたりだと思って抗生物質を服用しました。ところが翌日になっても回復しないどころか悪化するばかりだったので、地元病院を受診したところ急性膵炎と診断されました。
パターソン氏には深刻な合併症が起きていたので、ドイツのフランクフルトに緊急搬送されました。フランクフルトの病院で胆石が胆管に詰まって巨大な膿瘍ができていることが判明しました。そしてその膿瘍の中にはさらにたちの悪いものがいました。それは「イラクバクター(iraqibacter)」と呼ばれる薬剤耐性菌。WHOは危険な薬剤耐性菌リストを作成していますが、「イラクバクター」はその筆頭に挙げられています。 そしてさらに悪いことにパターソン氏にとりついている菌は如何なる抗生物質も効かない「スーパー耐性菌」でした。パターソン氏は既に数か月間昏睡状態にありました。医師らはパターソン氏の妻に宣告しました。「トムはもうすぐ死ぬだろう」と。
昏睡状態からの奇跡的な回復
実はパターソン氏の妻、ステファニー・ストラスディー氏は伝染病学者でした。ストラスディー氏は昏睡状態にある夫とともにアメリカのサンディエゴに戻った後、耐性菌に対して効果のある代替医療に関する論文を探し始めました。そしてストラスディー氏はファージセラピーについて知りました。ストラスディー氏はカリフォルニア大学サンディエゴ校のロバート・スクリー教授に相談しました。スクリー教授は「ファージさえ持ってきてくれればFDAの許可を得てファージで治療しよう」と言いました。
ストラスディー氏はファージを手に入れるためにインターネットで見つけたテキサスA&M大学をはじめとするファージ研究グループに片っ端から当たってみました。 一方でスクリー教授の方でもFDAにコンタクトを取ってみたところ、米海軍を紹介されました。実は米海軍医療研究センターのバイオ防衛司令部もバクテリオファージを研究していたのです。
いよいよパターソン氏にファージを投与する日がやってきました。 まずはテキサスA&M大学に送ってもらったバクテリオファージをドレーン管経由で腹部膿瘍の空洞に投与しました。その後、海軍から提供されたバクテリオファージを静脈内に投与し始めました。
それから約48時間後、パターソン氏は目覚め、枕から頭をあげました。パターソン氏は娘の姿に気が付いて娘の手にキスしました。 1~2週間後、パターソン氏からほとんど全ての生命維持装置が外されました。パターソン氏は筋肉を取り戻すためのリハビリを始め、ほぼ感染前の状態にまで回復しました。
この出来事をきっかけにバクテリオファージは世界中で耐性菌との闘いにおける一つの突破口として注目されるようになりました。
Interview with Robert Schooley, Steffanie Strathdee and Tom Patterson TEDxNashville ”How Sewage Saved My Husband’s Life from a Superbug | Steffanie Strathdee” Shinya Tsuzuki.(2019) “National trend of blood-stream infection attributable deaths caused by Staphylococcus aureus and Escherichia coli in Japan”, Journal of Infection and Chemotherapy(電子版)